入院してから(初日は心臓カテーテル検査)。。。

膠原病

10月2日に転院し、そのまま入院となったがウイルス性では

なさそうとのことだった。それはK病院でも9月30日の時点で

言われていた。

 

ただ全身に炎症が起きているので心臓と脳と大至急精密検査を

しなきゃって事で心臓を先にカテーテルを下腹部から入れ細胞

の一部を取り出して調べる検査を初日に行う。

 

10月2日当日に母とcoreyと心臓の担当医に説明を受けながら

「麻酔するんですよね?」と返した記憶が有る。この頃から、

もう記憶が、あやふやだった。

 

気付いたら足が痺れてて特に右足の状態が酷い。でも自分で、

いつ気付いたのか判らない。何故なら10月2日の朝K病院に

タクシーから降りて少し歩いたきり自ら立ったり座ったりして

なかったのだ。タンカや車椅子で運ばれる日々が続いていく。

 

心臓の検査直前にcorey1人で居る時でも書類に何枚かサインを

した。が、もう字がグニャけて上手く書けなくてヤバかった。

どんどん疲労感が増してるようだった。先生の前でヘナってて

座ってるのすら大変だった。この時も恐らく車椅子だったと

思われる。

 

「MRIの検査も有るんですよ」と言ってたが、その時点では

MRIの意味が判らないので「ハァ~」と返事にもならない返事

をして、その説明を受けてるのは終了したが、その先生とは、

その後、全く関わってなくて何者だったのか判らない。

 

意識朦朧としてる中coreyだけに色々と説明し何枚もサインを

書かせた白衣を来た先生?何者だったのやら???

 

10月2日の午後から夕方にかけて心臓の細胞をほんの少し採取

する検査が行われた。恥ずかしい所の毛は剃られて、ほぼ無く

なった。

 

局所麻酔が効いていて痛みも無く恐怖心は無かった。が心臓に

近づいて来るとバクバクする。「今、動いちゃ駄目ですよ」と

言われると余計に緊張し腕を張って両サイドの鉄柵をつかみ、

ひたすら耐える。

 

無事、終わるとcoreyの左足付け根の部分を血が止まるまで必死に

抑えてるドクター。。。恥ずかしい姿を晒してたが出血が

収まるまで、お任せしてるしか無かった。簡単には血が止まら

ないようで、その時間が、やけに長く感じた。

 

採取した心臓の細胞のごく一部は母が確認したようで綺麗で

何の異常も無かったようで一安心し母は帰宅したようだ。

 

検査の間、外で母は待っててくれたようだが、おそらく、この

間に事務員さんに「協会けんぽ」の保険証を提示してしまった

らしく、のちのち大変な事態を招きそうになるのだが、この時

は知る由もない。。。

 

傷口が完全に塞がるまで足を固定されて曲げられない。身体を

起こせない。地獄のように長く感じる数時間。日にちをまたぎ

10月3日になってしまう。10月2日の夕食は食べるか事前に

聞かれてたのだが、とても食べられる状況じゃなかった。

こんな厳しい姿勢で食事できる人が居るんだろうか?

 

何度も「起こして下さい!」って無駄に頼んだけど止められて

精神安定剤を処方される。身体を動かしたくても板で固定され

動けないのは辛すぎる体験だった。検査自体より、こちらの方

が大変だと思う。

 

手術なども手術自体よりも術後の方が大変って話も聞くし母も

一度、手術を受けた事が有るが、その時も術後の吐き気が大変

そうだった。

 

日付が変わって少し経ってから心臓病棟の方へ回されるまで

寝れなかった。いつの間にか寝てたんだろうが10月3日の朝は

欠勤の連絡は出来ぬまま。母にその3日の内にスマホを持って

来てもらえ、ようやく10月4日の朝に職場に「しばらく入院に

なりそうで1週間位でしょうか。。。」って旨を伝えることが

出来た。

 

が1週間で退院しなきゃなcoreyの勝手な自己診断は外れてしまう。

「自分で思ってる以上に重症な状態」だと心臓病棟から同じ階

リウマチ病棟に移動になってからの担当女医から、はっきり

言い渡されるのだ。

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