昨日の記事で4日の朝に飛んでるが3日の内に、おそらくMRIの
検査も有ったろうと思われる。何故なら退院するまでに週1で
3回は受けてるし心臓の次に真っ先に脳を調べたと思われる。
他にも検査は色々有った。30日2日そして再びS十字病院でも
レントゲン。短期間に3回も被爆してしまったのか。。。
日記なり記録を取っておくべきだったが当時は頭が朦朧として
るので検査や薬に付いては医師や看護師さん達にお任せ状態
になるしかなかった。
K病院での処方されてた薬の記録と合わせて新たに追加される薬
で朝も昼も夜も寝る前も薬のラッシュだった。プレドニンは1日
で5mgを10錠も飲んでいた。
お薬手帳を元に院内での薬のメニューが決まるのだが、かなり
の分量に困惑気味。。。母がcoreyの知らぬ間に「お薬手帳」を
看護師に見せて返してもらったかどうか、しばらく行方不明に
なってしまい参った。。。結局すぐ返して貰えてたらしく家に
持って帰っていたようだ。
今、考えると入院時の時点でも、要らなかったんじゃ?と思う
薬も有ったのだが名前がジェネリックで馴染みの薄いものに
変わってたり覚えてなかったり。。。眠剤とか降圧剤とかは
要らなかった気もするのだ。ホントに入院時は、よく眠れてた
から。。。
何故あんなにも何も考えず寝れたのか謎すぎる。家で養生とか
だと、やはり神経がザワザワ過敏に反応してしまうかもだが
病院だと何か有った時、看護師さんや医師を頼れるって点で
安心感が強く同部屋の人のオナラだのウメキ声だのの雑音は
coreyの場合あまり気にならなかった。
ただ心臓病棟(おそらく4日から5日にかけてだったかと)で
過ごした、ある夜中の喘息発作時は、なかなか点滴が来なくて
死ぬ思いだった。普段、通っていたK病院に比べ、こちらは
大きい病院だけに連携が迅速に行かない所が有るようだった。
先に駆けつけた先生(あの謎の白衣の医師か?)に聴診器を
当てられcoreyの肺は「あっ!ホントだ」と言われる位、喘鳴が
鳴ってて凄かったし咳をする度、大量のタンが肺から湧いて
いた。吸入器も何か手元で暴発する位、効いてないようで一刻
も早くの点滴の到着をひたすら待った。
点滴を受け始めると気分的にも落ち着き、すぐ入眠した模様。
すぐ朝が来て疲労困憊の残る身体で「生きてる」と実感した。
5日の内に同じ階のリウマチ病棟にベッドごと移動した筈だ。
ただ、ひたすら検査や食事や入浴やトイレなどと被らなければ
本当に、よく寝ていた。普段の不眠で悩んでいたのが嘘のよう
だった。昼も夜もいつでも寝たい時は起こされるまでは寝て
られる状況なので気楽だったのだ。4人部屋は常に24℃に設定
されていた。
退院時にはcoreyの白目は赤ちゃんのように綺麗になっていた。
日頃の睡眠不足の充血が収まっていた。
ただ退院が近づくに連れ足が痛くなって来るのが気になった。
20日の院内選挙の事前投票の時がピークで昼でも痛かった。
まぁ、これは、まだ先の話なのだが。。。台風も近づいてた
ようだし、そういった点も身体に影響あったのかもしれない
。。。
退院1週間前位から夜から朝にかけては痛みが気になって。。。
ナースマン達に薬を頼み込んで追加で貰ったりしていた。時間
を開けないとなかなか飲むのが許可されない程、トラマールや
リリカは強い薬だ。
今はリリカだけだが入院時はトラマールと交互に今の5倍分位の
分量を飲んでたと思う。それでも朝方には痛さに泣きが入って
しまって、ずっと、このままだったらどうしようって不安で朝
方、泣いていたら2日連続、同じ看護師さんに献身的に慰めら
れた。本当に白衣の天使って居るのだ。
恥ずかしくて顔も見れず名前も判らないままだが。。。あの時
の優しい看護師さんには心から感謝するばかりです。。。
本当にありがとうございました。どうか全宇宙から幸せが彼女
に舞い込みますように。。。
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