学校って誰の為に有るの?

思う事

coreyは長い間、子供達の為に有るのかと思っていた。が、どうも

従順な企業戦士を育成(洗脳)する機関だったと残念ながら

気付かざるを得ない。

 

だが時代錯誤で、もう、その安泰な筈の大企業ですら遮蔽して

(政府すら働き方改革を打ち出してる訳で)のだから、

そんな企業に盲信し思考停止状態で順応するだけの人間を量産

し続けるシステムにピリオドを打つべきと考える。

 

思えば昔から学校行事とか(授業もそうだけど)変だった。

例えば体育祭や合唱祭。。。他のクラスの同級生の活躍を

見たくとも演目が繋がってるので入場門やら裏口で待機してる

から、まともに見れない事が殆どだったように思う。

 

これについて先生に「同学年が演目で繋がらないよう順番を

空ける編成にしては如何か?」と提案した事が有るのだが、

どうも同学年の演目が連なってないと審査し難いとか見てる人

からすると判りずらいって説明を受け却下された。。。

 

見てる人って来賓者とか先生とか保護者?

児童や生徒達の目線は、そこには無いようだった。

 

クラス分けも、どうゆう基準で行われてたのか大人になるまで

謎だったがピアノが弾ける人が各クラス1名は居るようにとか

足が早い子が同クラスに集中しないように、って説が有る。

実際は先生方も頭を悩ませた挙句の決定なんだろうけど。。。

 

coreyは今で言うスクール・カースト最下層の子達に、こっそりと

「次のクラスでは誰と一緒になりたい?」とかリサーチして

クラス編成を決めるのが良いんじゃないかって思う。少なくと

もイジメとかの芽は大分、摘めるんじゃないか?

 

小学校時代は場面寡黙症だったcorey。回りの人達の人間構成を

少し外側から見れてたので誰が信用できる人かとか、かなり

判っていた。先生受けする子が必ずしもいい人でない事も。

成績とか関係なく本当に優しい心の綺麗な人って居るのだ。

 

人って生まれながらに天使な人も居るんだと。未だに人生に

絶望しないで居られるのは人を信じれてるからだろう。。。

未だに感謝しても、し尽くせない。。。

 

イジメと言えば、やはり閉塞的な環境から生まれやすい。

coreyもやはり凄いイジメに合ってた時期も有って、未だに生々

しく苦い思いが心をよぎる。これが当時もう少し風通しの良い

環境で有ったらイジメは深刻化しなかったのでは?と思うこと

もある。

 

小学校が4年間で終わりだったら。。。なんて。6年間は

長すぎると思う。coreyは小中高と各4年間づつだったら、かなり

風通し良くなる筈!って思ってるのだが子供世代(姪っ子達)

も既に高校も卒業しちゃったのに。。。未だ学校は633制。

昔から基本的に何も変わってない。

 

444制って、いつ実現するんだろう?444制に変えるだけ

で、かなりの問題が片付くと思う。集団生活をさせるなら

楽しい環境を整えてあげるのが大人の勤めでは?今のままで

は、いかにも息苦しくて余裕なんて無い。

 

甲子園めざしても3年間では短いから命がけな変な根性主義

とか生まれる。

 

高校が4年間だったら高校入学と同時に新しい事を始めても

モノに出来る可能性は高まる。

石の上にも2年か4年って感じで気軽に挑める♪

 

学校って子供達の為に有るべきと思う。将来の企業の為の洗脳

兵士育成の機関であるべきじゃない。クーラーも付けなきゃ

子供達の命は危ないし高校野球も真夏の屋外なんて辞める

べきだ。もう昔とは時代も環境も違う。

 

ここまで夏が暑かったことは、かつて無かったのだから。変な

ノスタルジーなど捨て子供達を守ろう!犠牲になる子が、これ

以上でないよう願うばかりだ。。。

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